篠田節子さんの『仮想儀礼』という小説のなかで、作者は、新興宗教の教祖・桐生という存在を借りて、読者にこんなことを語りかけます。
ある年配の女性は、庭を潰して駐車場を作ってから、体調が優れず医者に行っても治らないと、相談に来た。霊能者に見てもらうと、借財の怨念がついている、と言われお祓いの対価として多額のお布施を要求された。しかしそんなことをしても、体はいっこうに良くならないと訴えた。"
相談に乗った正彦は、女性の体調について詳しく尋ねた。どこが痛い、苦しいという訴えを気が済むまで聞いてやった後、循環器系の専門病院に行くように指示し、なるべく毎日、ここに来て礼拝するようにと付け加えた。
またこの近くに住んでいる中年の主婦は、自分は生まれてこの方、ずっと人に騙され続けている、世の中のすべてが自分を裏切っている、と訴えた。聞けば最近もパートタイマーとして働いていた小さな店で給料の不払いに遭い、高齢の母は病気が治らないのに強制的に退院させられて行き場がない。長兄は金持ちで大きな家に住んでいるのに、妻が恐くて母のことは見て見ぬふりをする。
正彦が答えたのは、給料請求の具体的な手続きであり、母親の介護に関しては、相談に乗ってくれる自治体の窓口を具体的に教え、要領よく事態を伝えられない女に代わり、電話をかけてやった。
教祖の仕事とはとうてい思えない。しかし普通の家庭生活を送っている多くの女性が、心の問題や神様について云々する以前に、社会のシステムや制度についての正確な知識を持っておらず、そのために問題が解決できず、相談相手もいない状況に置かれていることに正彦は驚かされていた。
— 自分が見捨てられていることにすら気づいていない人たち - 琥珀色の戯言 (via eternityscape)
(otsuneから)
他社と差別化する時によく、1.3対1という心理学でいう差別化
の数字を使います。
1.3とは、心理学で一次元的な差(比)の違いを説明する時に
使う数字です。
1メートルの棒を用意し、その長さを教えずに、相手に10秒見せ
た後で隠し、次にそれよりも10センチ長い棒を見せたとします。
1.1メートルだと、ほとんどの人がその差を認識できません。
同じように10センチずつ長くしていくと、1.2メートルの時は
一部の人が長くなったと思うといい、1.3メートルになった時、
ほとんどの人が棒が長くなったと認知できるのです。
つまり、差を認知できるのは1に対して、1.3(倍)ですので、
これを差別化の基本数字として採用しています。
例えば、靴の売り場で5段階陳列にしている競合店に差をつけた
かったら、5×1.3=6.5 で7段階陳列すると、圧倒的に
陳列密度が濃いとお客さんは認知します。
カーテンの売り場であれば、陳列面の通路側の長さ(陳列線という)
を競合店の1.3倍にすればよいことになります。
さらに、陳列線を1.3倍、陳列段数も1.3倍にしたらどうで
しょう。
かなり、その差は強調されることになります。
このタテヨコの差別化を、面の差別化と呼びます。
面積の場合は一辺の長さを1.3倍ずつするので、
1.3×1.3=1.69となり、約1.7倍するとお客さんに
圧倒的に広いと感じさせることができます。
価格で差のつけられない本屋(郊外書店)などは、この面積での
差別化と、密度の差別化が決め手となるので、競合店が70坪なら
120坪、90坪なら150坪の店をつくり陳列段を1.3倍に
すれば、まず間違いなく圧勝できるということです。
この考えは、価格の値引き率でも同じです。
10%引きや20%引きでは、安さをPRするには十分とはいえず、
30%引きになってはじめて「安い」とはっきり認知するのです。
— 【差別化のマーケティング(1)】IT企業・卓越のマーケティング発想法 | 船井総合研究所 経営コンサルタント (via shigesa) (via kml) (via plasticdreams)
2009-01-30 (via gkojay) (via jinon, tsupo) 2010-02-24 (via gkojay) (via xlheads) (via yaruo)
—
使いやすさを考えてみる。(アクティブシニア・シルバー層の現場から): 老人はキレやすいの?
2008-09-15
(via quote-over100notes-jp)
(via ngura) (via amiens2009)いろどりのシステム思い出した。
ドーナツの中心みたいに、存在いない何かを「ある」と宣言できた人には、ものすごいお金が集まってくる。
医療においてはたとえば、「健康」というものは、「病気でない」ことで定義される。病気の定義は様々で、「病気でない」一定の状態を取り巻くように、「病気の状態」というものは、あたかもドーナツのように分布する。
ドーナツの真ん中には空間が、「病気でない状態」で漠然と存在していて、その中心にあるであろう、あるのかもしれない「健康」という状態は、医療では定義できないし、そこには実際、向かうべき中心なんて存在しない。
健康食品を売り歩いたり、あるいはアンチエイジングを唱える人達は、ドーナツの真ん中にある空間に、「ここが中心だ」という一点を指差し、叫ぶ。
中心がここと決まれば、「病気でない」空間で暮らす全ての人は、「中心からの距離」という序列が生まれる。序列ができて、誰もが中心を目指すことが正義であるという認識が共有されれば、中心に向かうための薬や指導、販売される食品は、莫大な富をもたらす。
"— ドーナツの中心を指さす仕事 - medtoolzの本館 (via ittm)
(allgreendaysから)
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村上龍「置き去りにされる人々」P31
(via reretlet) (via hogefugapiyo, thanks-a-million) 2009-11-10 (via gkojay) (via urume) (via yaruolikes) (via yaruo) (via allgreendays)
声優の肝付曰(いわ)く。「スネ夫は“大人”なんでしょうね」
「ドラえもん」に、催眠術ごっこをするジャイアンが、うまくかからないのび太を殴るシーンがある。スネ夫は、それを横目につぶやく。
「かかったふりしてれば、いいのに。ばかだな」
"私は特に最初の「失敗おめでとう」が素敵だなと思いました。「失敗が許容される文化」が早く日本にも根付いてほしいです。失敗すると「それ見たことか、この世間知らずが!」みたいに鬼の首を取ったように、そして水に落ちた犬を棒で叩くように振舞う人が多い日本においては「失敗おめでとう」と言えるのはとても素晴らしい事だと思いました。
新しいことに挑戦して失敗した人達を非難する人達は失敗や多様性に非寛容なんだよなと、話していてゲンナリさせられます。私はNew Yorkにいる米国人の友人と話していて失敗についての話になった際に印象的な話を教えてもらいました。「僕の知り合いで会社を7つ潰した人がいる。でも、7つ潰した後に2つの会社を成功させたのだから立派だよね。でも、これが日本の場合だと会社を一つ潰した時点でHarakiriだよね」という事を冗談めかして言われたときには、失敗に対する日本社会の過酷さを意識せざるをえませんでした。
— The Wisdom of Crowds – JP - 日本に不足する「グローバル人材」を輩出するために必要なこと (via katoyuu)
(ssbtから)
— 林業は衰退産業という“ウソ”:日経ビジネスオンライン (via nakano) (via kml) (via jacony) (via vmconverter)
2010-03-01 (via gkojay)
